PROLOGUE
なぜ、満席の人気店は「黒字」のまま潰れたのか?
毎晩行列ができる繁盛店が、利益を出したまま倒産する。この不可解な事件を解く鍵こそ、あなたがこれから学ぶ「簿記」だ。
GOALS
この章で学ぶこと
- ▸「利益」と「現金」がまったく別物だという、会社経営で最も重要なルールの1つを知る
- ▸簿記が「記帳の作業」ではなく「会社の生死を読む技術」である理由を理解する
- ▸簿記3級の全体像と、試験で問われることを一望する
- ▸本書に登場する5つの会社と出会う
この章の目次▼
QUESTION ― この章の問い
行列の絶えない定食屋は、なぜ「黒字」のまま死んだのか
京都・百万遍。深夜まで学生の声が響くこの街に、行列の絶えない定食屋があった。
店の名は「まんぷく食堂」。から揚げ定食650円、ご飯おかわり無料。試験前の京大生が深夜1時に駆け込み、運動部員が大盛りをかき込む。開店から3年で4店舗。決算書の最終行には、毎年きっちり黒字の二文字が並んでいた。
そして4年目の秋。まんぷく食堂は、倒産した。
不正はなかった。食中毒もなかった。ライバルの値下げ攻勢も、客離れもなかった。利益は、最後まで出ていた。
では、なぜ死んだのか?
この問いの答えが分かったとき、あなたには、決算書の数字の裏側にあるお金の動きが見えるようになっている。
01「利益」と「お金」は、まったくの別物である
最初に、あなたの頭の中にある常識をひとつ壊しておきたい。
多くの人は「儲かっている会社には、お金がある」と思っている。「利益が出た」とは「お金が増えた」ことだと。
これは間違いだ。
利益とは、会計のルールに従って計算された「成績」にすぎない。一方、お金(キャッシュ)とは、いま金庫と銀行口座に実際にある「残高」だ。この2つは、驚くほど一致しない。
そして会社が死ぬのは、成績が悪いときではない。支払うべき日に、支払うお金がないときだ。従業員の給料、店の家賃、銀行への返済、食材の仕入代金。どれか1つでも払えなければ、その瞬間に会社は立ち行かなくなる。利益がいくら出ていようと、関係ない。
これを「黒字倒産」と呼ぶ。
02まんぷく食堂の3年間を、数字で追いかける
では、まんぷく食堂に何が起きたのか。当時の数字を再現してみよう。
1号店の月商は約600万円。原価と経費を差し引いても、毎月60万円ほどの利益が残る優良店だった。自信をつけたオーナーは、出店を加速させる。
まんぷく食堂、拡大の軌跡
1年目
百万遍に1号店オープン
自己資金と借入金で開業。初年度から黒字
2年目
出町柳に2号店
内装・厨房設備2,500万円、保証金500万円。銀行から2,000万円を借入
3年目
今出川に3号店オープン、北白川で4号店に着工
2店舗分の設備5,000万円と保証金1,000万円を支払う。追加で4,000万円を借入
4年目・春
4号店の工事が2か月遅延
売上ゼロのまま、家賃と研修中スタッフの給料が出ていく
4年目・秋
月末の支払いに300万円足りず、事業停止
決算書の上では、最後まで黒字だった
3年目の決算書(損益計算書)を見てみよう。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 売上高 | 2億円 |
| 食材費・人件費・家賃などの費用 | 1億8,800万円 |
| 当期純利益 | 1,200万円 |
文句なしの黒字だ。銀行の担当者も「順調ですね」と笑っていた。
ところが同じ年、銀行口座の残高はこう動いていた。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 期首の現金残高 | 900万円 |
| + 本業で稼いだ利益 | 1,200万円 |
| + 減価償却費(費用だが、お金は出ていかない) | 1,000万円 |
| - 新店2店舗の内装・厨房設備 | △5,000万円 |
| - 新店2店舗の保証金(敷金) | △1,000万円 |
| - 借入金の元本返済 | △800万円 |
| - 食材在庫の増加 | △200万円 |
| - 前年度分の法人税などの納付 | △300万円 |
| + 銀行からの新規借入 | 4,000万円 |
| 期末の現金残高 | △200万円 |
計算上、期末の残高はマイナス200万円。もちろん、口座がマイナスになることはない。実際には、その手前のある月末に「払えない日」が来た。それが4年目の秋だった。
利益は1,200万円出ているのに、お金は1,100万円も減っている。この「ズレ」の正体が、今回の問いの答えだ。
まんぷく食堂のオーナーは、損益計算書しか見ていなかった。「利益が出ているから大丈夫」と信じて、次々に店を出した。
もし彼が、もう1枚の決算書——貸借対照表——を読めていたら。現金がみるみる減り、代わりに「建物」「備品」「差入保証金」という、すぐにはお金に戻らない資産と、「借入金」という返済義務が膨れ上がっていく様子が、はっきり見えたはずだ。
ANSWER ― 答え合わせ
「黒字倒産」の正体
まんぷく食堂を殺したのは、赤字ではない。利益とキャッシュの「時間差」だ。
出店のための支出は「今」出ていく。しかし、それが費用として利益計算に反映されるのは「何年もかけて少しずつ」であり、保証金や借入返済に至っては、利益計算に一度も表れない。
損益計算書は「この1年の成績」を映す。貸借対照表は「いま会社が何を持ち、誰にいくら借りているか」を映す。この2枚をセットで読めなかったことが、まんぷく食堂の命取りになった。
そして、この2枚の決算書を作り、読むための技術こそが——簿記である。
03簿記とは「会社のカルテ」を書き、読む技術である
簿記(ぼき)とは「帳簿記入」の略だ。会社で起きたお金とモノの動きを、一定のルールで記録し、最終的に財務諸表(決算書)という報告書にまとめる技術である。
こう書くと地味に聞こえるかもしれない。だが、簿記が扱っているのは、会社の成績と財産そのものだ。
簿記とは、会社の成績表である財務諸表を作り、読み解くための技術だ。
株価は財務諸表をもとに動く。銀行は財務諸表を見て融資を決める。税務署は財務諸表をもとに税金を計算する。経営者は財務諸表を見て、出店するか撤退するかを決める。会社に関わる人の多くが、同じ財務諸表を見て判断している。
財務諸表を読めないままお金の判断をするのは、地図を持たずに知らない土地を歩くようなものだ。逆に、読める人には、他の人には見えない会社の実態が見えてくる。
| 誰が | 何を知りたいか |
|---|---|
| 経営者 | どの店が儲かっているか。次の出店資金はあるか |
| 銀行 | この会社に貸したお金は、ちゃんと返ってくるか |
| 投資家(株主) | この会社の株は、将来もっと価値が上がるか |
| 取引先 | 掛けで売っても、代金を払ってもらえるか |
| 税務署 | 正しく利益を計算し、正しく税金を納めているか |
| 就職・転職する人 | この会社は5年後も存在しているか |
04簿記3級で身につく、6つの力
日商簿記3級は、この財務諸表の読み書きの基礎を、株式会社を舞台に学ぶ資格だ。本書を読み終えたとき、あなたは次の力を身につけている。
その1
仕訳
世界共通のビジネス言語(第1〜2章)
その2
キャッシュ管理
現金・預金を守る技術(第3〜4章)
その3
利益の源泉
商品売買と売上原価(第5〜6章)
その4
信用の管理
債権・債務・貸倒れ(第7〜11章)
その5
投資と所有
固定資産・株式・税金(第12〜15章)
その6
決算
財務諸表を完成させる(第16〜19章)
これらはすべて、2級(工業簿記・連結会計)、1級(会計基準の理論)、そして実際の経営判断やM&A、資金調達の現場へとまっすぐにつながっている。3級は「入門」ではあるが、決して「おまけ」ではない。ここで手に入れるOSの上に、すべての上級スキルがインストールされるのだ。
05簿記の全体像 ― 1年間の流れ
簿記の仕事は、1年間(会計期間)を単位としたサイクルで回っている。まずは全体の地図を頭に入れておこう。細部は各章で1つずつ学んでいく。
簿記の1年間(会計期間)の流れ
- 1
取引が発生する
商品を仕入れる、売る、給料を払う、バスを買う……会社の日常のすべてが出発点(第2章)
- 2
仕訳(しわけ)をする
取引を「借方」と「貸方」に分解して記録する。簿記のすべての土台(第2章〜第15章)
- 3
総勘定元帳に転記する
仕訳を「勘定」ごとに整理し直す(第2章・第16章)
- 4
試算表で検算する
記録に誤りがないかを、貸借の一致で確かめる(第17章)
- 5
決算整理をする
期末に「本当の利益」を計算するための修正を加える(第18章)
- 6
財務諸表を作る
損益計算書と貸借対照表を完成させ、帳簿を締め切る(第19章)
06試験の概要 ― 敵を知る
詳しい攻略法は「付録B 試験攻略マニュアル」で解説するが、ここで試験の輪郭をつかんでおこう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 試験方式 | 統一試験(ペーパー:例年6月・11月・2月)/ネット試験(CBT:随時) |
| 試験時間 | 60分 |
| 配点・合格基準 | 100点満点中、70点以上で合格 |
| 第1問(45点) | 仕訳問題 15問 |
| 第2問(20点) | 勘定記入、補助簿、伝票、語句選択など |
| 第3問(35点) | 決算:財務諸表・精算表・決算整理後残高試算表の作成 |
※2027年4月1日以降の試験では、紙の手形・小切手の廃止などにあわせて出題区分が改定される予定です(2025年12月公表の暫定版)。本書は、2026年度(2027年3月まで)の試験に適用される現行の出題区分を完全にカバーしたうえで、2027年度からの変更点(2027年度〜・2027年度〜範囲外)も併記しています。
07登場する5つの会社
本書は、身近にある実在しそうなビジネスを舞台にしている。以下の5社が、章をまたいで何度も登場する。どの会社も、それぞれのやり方で経営の落とし穴と隣り合わせだ。
百万遍・出町柳・今出川・衣笠など、京都の大学周辺に12店舗。牛すき丼(並)480円、定食はご飯おかわり無料。深夜3時まで営業し、勉強終わりの学生とアルバイト帰りの若者で埋まる。まんぷく食堂の倒産を間近で見た創業社長は、財務の専門家を役員に迎え、数字にもとづく経営に舵を切った。
店舗数
12店舗
京都市内の学生街
年商
約13億円
1店舗あたり月商900万円
食材原価率
33%
牛肉価格の高騰で上昇中
アルバイト
約240名
深夜帯は25%の割増賃金
主に登場する章:商品売買(第5・6章)、現金(第3章)、給料(第10章)、消費税(第14章)、決算(第18章)
東京と京都・大阪・広島・福岡を結ぶ夜行高速バス会社。全車3列独立シート、カーテン付きで「眠れる夜行バス」を売りにする。1台5,000万円の車両を20台保有し、乗車券はWebで1か月前から販売する。
保有車両
20台
3列独立シート・28席
車両1台の取得原価
5,000万円
架装費・登録費用込み
耐用年数
5年
定額法で償却
主に登場する章:取引と仕訳(第1・2章)、その他の債権債務(第9章)、固定資産と減価償却(第12章)、税金(第14章)
京都・大阪に8店舗を構える24時間営業のフィットネスジム。月会費7,980円、年払いなら10か月分の料金で12か月使える。パワーラックやトレッドミルなど高額マシンへの投資と、会費の「前受け」がビジネスの肝。
店舗数
8店舗
京都・大阪
会員数
約6,400名
1店舗あたり約800名
年払い会員の比率
30%
前払いで現金が先に入る
主に登場する章:預金(第4章)、クレジット売掛金(第7章)、経過勘定(第15章)
京都・洛北に本社を置く食肉の卸売業者。おかわり堂を含む約150の飲食店に、牛肉・豚肉・鶏肉を「月末締め・翌月末払い」の掛けで納める。売った瞬間ではなく、1〜2か月後にお金が入るビジネスだ。
取引先
約150店
京都・滋賀の飲食店
月商
約1億5,000万円
ほぼ全額が掛け売り
回収サイト
30〜60日
手形・でんさいも一部
主に登場する章:預金と小切手(第4章)、掛取引(第7章)、手形と電子記録債権(第8章)、貸倒れ(第11章)
飲食店向けのシフト管理クラウドサービスを提供するスタートアップ。おかわり堂も顧客の1社。売上は毎年1.5倍で伸びているが、広告と開発への投資が先行し、毎年数億円の赤字を出している。それでも投資家は列をなす。
年間契約売上(ARR)
6億円
前年比150%
当期純損失
△4億円
成長投資が先行
主に登場する章:株式会社と純資産(第13章)、終章
※本書に登場する企業・人物・数値は、すべて学習用に設計した架空のものです。
最後に、本書の読み方について。
各章の冒頭には、身近な会社で起こりうる問いを1つ置いている。その答えは、必ずその章で学ぶ簿記のルールの中にある。
ルールを覚えるだけでなく、ルールが生まれた理由まで理解してほしい。そうすれば、試験の仕訳は「暗記」ではなく「当たり前」に変わる。
SUMMARY
序章のまとめ
- ✓利益(成績)と現金(残高)は別物。会社は「赤字」ではなく「支払えないこと」で死ぬ
- ✓設備投資・保証金・借入金の返済・在庫・税金は、利益と現金のズレを生む5大要因
- ✓損益計算書は「1年間の成績」、貸借対照表は「いまの財産と借金」を映す。2枚セットで読む
- ✓簿記とは、財務諸表を作り、読むための技術。会社に関わるあらゆる判断の土台になる
- ✓3級の試験は「仕訳(45点)」と「決算(35点)」が勝負どころ